メインコンテンツ領域に移動する
Mobile Menu Button
附近の温泉業者
興味があるかも
優待情報
温泉特典
優良温泉業者

Satokoay(舞鶴)遺跡

この文字をクリックして、キーボード操作によるアルバム機能の説明を見る
  • アップキー:写真選択を表示
  • ダウンキー:写真選択を非表示
  • レフトキー:前の写真
  • ライトキー:次の写真へ
  • ESCキー:アルバムを閉じる

石柱は相対する二つの巨大な石柱で、ひとつは高さ5.75メートル、ひとつは3.99メートルあります。これは瑞穗郷舞鶴台地北側の山上にあり、ここからは紅葉渓谷を見下せます。

アミ族の伝説によると、約数百年前、アミ族の一部が舞鶴台地に開墾にやってきた際、突如暴風雨に襲われ、急いで付近にあった木板を拾い上げ、雨を避けたということです。

舞鶴地区はアミ族が暮らす地域で、彼らの伝説の中にはたくさんの石柱に関するストーリーが残っています。そのいくつかをご紹介しましょう。アミ族は家を建てるとき、必ずその土地を囲んで祖先に祝詞をあげます。ところがある時、その祝詞を歌い間違えたため、暴風が起こりました。すべての者が石に変えさせられ、祝詞を間違えた二人は石柱に変わり果てました。もうひとつは、次のような話です。かつてある頭目の妻が、一人が黒い肌の子供、一人が白い肌の子供という双子を生み落としました。部族の人たちはこれを不吉な兆候だし、集落の安全のために、この二人の子供を門の木柱にくくりつけしてしまいました。その後、村は遷居し、この二人の子供は石柱と変わり果て、永遠に集落の門の前に佇んでいるとのことです。

実際に考古学者が付近で出土した文物を判定したところ、石柱は新石器時代後期に属する「卑南文化」の遺跡でした。今から約三千年あまり前のもので、台湾で唯一の史前巨石文明の遺跡です。しかし、これら数トンの重さがある二つの石柱がいったいどこからやってきたか?どんな人が、どんな方法でここに運び、どのように立たせたのか?これらは未だに謎のままであり、神秘のベールに包まれています。

関連情報

:::

最近の閲覧

トップ