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北投温泉博物館

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東アジア最大の公衆浴場
北投公園内にあり、北投渓に近い北投温泉博物館は日本統治時代、「北投温泉公衆浴場」として大いに賑わっていました。建設が開始された1910年(明治43年)当時は、庶民が気軽に温泉を楽しめる場所が少なかったこともあり、地元の人たちの陳情を受けた当時の台北州庁長、井村大吉がもともとあった公衆浴場「瀧乃湯」を改築、拡張工事を行なって北投温泉公衆浴場としました。1913年に浴場が正式に落成すると、さらに周囲に北投公園を建設、徐々に北投温泉郷として姿を整え、発展していました。

同公衆浴場は静岡県伊豆山温泉を手本に、当時5万6千円を投入して完成です。1923年には当時皇太子だった裕仁天皇が訪れるというので、さらに1万7千円をかけて増築し、和風と洋風をミックスさせたエキゾチックな大浴場が誕生しました。これ以後、北投公衆浴場は台湾を代表する温泉建築として、また東アジア最大の公衆浴場としてその名を馳せるようになります。

しかし、戦後台湾が中華民国に返還された後は管轄部門が次々と変わり、一度は倉庫に使用されるなど荒廃し、人々から忘れ去られていました。ところが1994年、北投小学校の生徒と教師が授業でこの公衆浴場のことを知り、付近の住民たちとともに台北市に熱心に働きかけた結果、内政部から市定古跡に指定されました。そこで、台北市が中心となって北投温泉をテーマとした博物館の設立を計画、1998年10月31日にオープンしました。

和洋折衷のユニークな建物
英国のビクトリア様式を採り入れた北投温泉公衆浴場は敷地面積700坪の2階建て、レンガ造りの壁に日本式の屋根というハイカラな建物です。レンガ造りの1階は235坪に浴場と脱衣所が設置され、190坪の2階は木造に畳敷きの大広間となっていました。入口は2階にあり、スリッパに履き替えてから、1階に下りていくと、脱衣所とそれぞれの浴槽へと続きます。当時、重要な客は南側にある独立した浴室と休憩室を利用していたといいます。

大浴場はこの建物の中心です。長さ9m、幅6mです。深さは40cm-130cmのスロープ式になっており、小型のプールを思わせます。大浴場は男性客用だったことから、当時、北投を訪れ、温泉を楽しむ人たちがほとんど男性だったことが伺えます。ここでのもう一つの特徴は「立ち湯」で、そのため、大勢の入浴客を収容することができました。ローマ様式の円柱やカラフルなステンドグラスがはめられた代浴場は明るく壮麗なおもむきをたたえ、ローマやトルコの大浴場をほうふつさせます。当時の北投温泉の賑わいが目に見えるようです。2階の大広間は障子を開ければ四方から風が入り、涼をとるのに格好の場所です。入浴をすませた人たちはここで食事をしたり、雑談に花を咲かせたり、ベランダに出て北投の大自然や公園を眺めながら、のんびりと1日を過ごしていました。その大広間には今、ひしゃくや桶をはじめ、当時浴場で使用されていた道具や設備が展示されています。

北投石は世界で唯一、台湾の地名が付けられ、世界では北投と日本の玉川温泉にしかないという貴重な鉱石です。地熱谷から湧き出る硫酸鉛やバリウム、ラジウムなどを含む湯が北投渓の流れと交わり、水温が下がって鉱物の結晶が川石に付着してできたもので、微量の放射能をもち、日本統治時代には「天然記念物」に指定されていました。

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