旧名は「手網地」と呼ばれ、祖先たちが魚を捕まえる時に使用していた手網を開いた状態の形に似ていることから名付けられました。青々とした山なので、「涵碧山」と名付けられ、またの名を「碧山」と言います。三面が湖に囲まれ、涵碧樓からは日月潭の青々とした山並みと、曲がりくねった湖岸、および紺碧の湖水が一幅の絵画を織りなしているのが見えます。
涵碧歩道は涵碧樓に位置する曲がりくねった森林小道を指します。海抜750メートルから780メートルの間にあり、全長は1.5キロ~2キロはあります。涵碧山を抱き、くねくねと緩やかに曲がっています。海抜793.3メートルに位置する「涵碧樓(元・蔣公行館)は歩道上にあり、全行程は徒歩で約一時間の距離です。かつては管制区に属し、蒋介石が滞在していた時にはよくこの歩道を散歩したり、歩道下方にある埠頭から船に乗り、月潭まで行き、慈恩塔方向へ向かったりしていました。現在も歩道下方には埠頭と哨舎が見られます。
涵碧歩道は緩やかな傾斜で、赤レンガで築かれた階段が伸びています。緑の林の中では素朴で優雅な雰囲気を醸し出しています。歩道両側には鬱蒼とした林が広がり、五色鳥(ゴシキドリ)やチメドリ、メジロチメドリなど低海抜の鳥類がよく見られます。また、歩道からは遠くに日月潭が眺められ、湖面が鏡のように見えます。もやがかかった山容が逆さに映り込み、必見の絶景となっています。