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バンカは現在の萬華区で、昔は淡水河の水運が便利だったので、台北の貨物の中継地となり、19世紀初期には商業が盛んとなり、台湾の三大都市の一つ(当時の台湾の三大都市は、南部の台南、中部の鹿港、北部のバンカ)となり、台北市の発祥地となりました。バンカは三百年の間に、先住民の集落から段々と発展して商業が発展した大都会となり繁栄しました。その後淡水河の川底が浅くなり、また移民間の械闘によって段々と衰微し、興隆と衰微の中で残った、古廟、古街、書院、隘門、伝統的な商売等の貴重な古い風景、多様な歴史を遡る史料は台北市でもっとも豊富で、同時にバンカの昔日の風采を追想するのに最も良い素材となるでしょう!

黄合発コウゲ店
清水厳から貴陽街二段の方向へ西へ進み、半円形の交差点の前に、90年の歴史があるコウゲ(餅菓子)の老舗があります。中国人の伝統では、その季節に合わせて、また縁日や祭典、冠婚葬祭などの時に、各種の餅菓子を食べる習俗があります。例えば新年に食べる年コウ(中国式の餅)は、発音から年々高升(毎年官位が上がる)ということを象徴し、誕生日には幸福と長寿が長く続くように寿桃を食べます。この老舗は各種の中国の餅菓子を知るにはもってこいのお店です。

旧街と新店頭街
青山宮を出て、西園路を南に行き、桂林路との交差点に来ると、そこは昔商店が集中していた「旧街」で、仏具店、漢方薬店、糊紙店(死者に焼いて供える物を専門に作る「紙屋」で中国の伝統では死者に死後の世界で利用する家などの財産を添える儀式があります)等、数多くの古い商売があり、ここでその技芸を展示しつづけていて、ここへ来ると昔の雰囲気を味わう事ができます。更に南へ行くと龍山寺の横の西園路一段へと着きます。ここは大小の仏具店、刺繍店が集中する「新店頭街」で、ここで観光客は各種各様の仏教彫刻、仏教刺繍等の製造過程を見ることができ、まさに「百聞は一見にしかず」の趣があります。これらの業種は寺廟によって振興した業種で、特に観光客が絶えることなく訪れ、龍山寺が賑わうと良いのです。

青草巷
龍山寺を出て西昌街224巷に入ると、そこは草の香りが鼻をつく「青草薬専売街」です。十数軒の伝統的な青草薬舗が、百種類以上の各種の薬草を販売し、口伝えの民間経験に基づいて、民衆に薬の調合(例えば青草茶は体のほてりをさます)を提供しつづけていて、大変に地方の風情のある特殊な通りです。

バンカ隘門
青草巷を出て広州街を曲がって西に行くと、広州街223巷の角に着き、先ず見つけるのが古びていて見栄えのしない「隘門」で、これは初期の住民が近隣を防衛するために設けたものです。毎晩或いは緊急事件の時には、隘門を即刻閉ざし侵入者を閉じこめてしまうのに力を発揮しました。バンカの昔の民間防衛システムと言えます。

淡北育嬰堂碑
隘門を更に西に行き、道路を渡ると、広州街243号の旧仁済医院の門の場所に着き、大木に取り残された果実にように「淡北育嬰堂碑」(もとは道路の向かい側の新仁済医院の所に立っていましたが、新医院建設のため現在地に移りました)が立っています。碑には1870年の社会のことが記載されています。それは金持ちの紳士が資材を出し合って孤児院(育嬰堂)を成立した史実です。昔のバンカには、老人の世話をする養済院や、移民間の械闘(争い)で死亡した人の遺骨を収納する万善堂等がありましたが、残念なことにこれらの慈善事業の遺跡はみな保存されていません。

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