関渡宮は1661年前後に建立され、台湾北部では最も古い媽祖廟です。霊山の上にあるので、もとは霊山廟と呼ばれていました。言い伝えによると1895年に廟の入り口にある三本の古いガジュマルの木が同じ晩に急に枯れてしまいました。住民たちは媽祖が彼らにさいなんのあることを警告したのだと思いました。やはり短期間のうちに日本軍が台湾に上陸し、関渡を攻撃しました。住民たちは早くから予防措置をとっていたので、災難から逃れることができました。関渡宮の歴史は古く、殿口の龍柱、石の獅子、壁の彫刻等は、みな非常に精巧です。特に門神は、浮き彫りで表現されていて、一般の彩色画の門神とは違った趣です。殿の中に入ると、殿の絵天井、屋根の斗拱、はりには全てとても豊富な彫塑、彩色画が施されていて、大変に美しく華麗です。さらに、多くの伝説があるまそ媽祖の神像は、正面の壇上に安座し、情け深い様子で、媽祖の武将の千里眼、順風耳の造形と強烈な対比を形成しています。
関渡宮の右側に全長約80メートルの古仏洞があります。入口に鎮洞宝臼があり、一切の邪悪を鎮圧しています。洞内に入ると、両側に二十八天王像があります。奥まで進むと、千手観音があります。その千の手と千の目は「普渡衆生」(人々を迷いから救う)ということを表わしています。観音の後ろに回ると、そこは古仏洞の出口で、河口の風景を鑑賞することができます。