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淡水紅毛城

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十七世紀初め、台湾に目をつけたスペイン人が淡水に侵入し、淡水河口の丘の上に、サントドミンゴ城を建設しました。スペイン人を撃退したオランダ人は、その城跡により堅固な城砦を築いました。当時の台湾住民は西洋人を紅毛と称したことから紅毛城と呼ばれました。オランダ時代の紅毛城は光彩を放ちましたが、明代に至ると淡水は流刑地となり、紅毛城は廃棄されました。清代初期、台湾は正式に清朝の版図に入り、紅毛城は再度淡水河口の防衛基地となります。清末、イギリスやフランスとの戦いに敗れて、淡水は開港され、英国人が紅毛城を英国領事館として使用するようになりました。主城東側に領事官邸が建てられ、紅毛城は各国人士交流の場となります。紅毛城はもともと灰色の建築でしたが、英国人によって赤色に染められます。紅毛城の「紅」はもともと建物の色とは関係がないのです。

二次大戦が始まると、日本に支配されていた台湾の英国領事館は閉鎖されます。戦後英国人は紅毛城に戻り、利用は中英断交まで続きます。その後、オーストラリアや米国に管理されましたが、最終的に1980年正式に中華民国の所有に帰しました。この四百年にわたる台湾と世界の交流史を紅毛城は見てきたのです。まるで、舞台劇の一幕を見るようです。

東側の領事館は英国領事が招聘した英国人建築師が設計しました。赤レンガは福建廈門から運び込まれたといいます。領事官邸一階西側は客間と書斎、東側は食堂およびキッチン、後側はランドリーと使用人の居室でした。二階には三つの寝室と倉庫がありました。一階から二階へは大きな階段があり、天井のシャンデリアが往時をしのばせます。当時園内にはバラの花が咲き乱れ、官邸の回廊はアフタヌーンティのサロンとなっていました。官邸内の客間と食堂および寝室には暖炉があり、英国建築の風格をとどめています。

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