サクラと温泉の名所--タイヤルの里「烏来」
台北市にもっとも近い原住民の村、新北市の烏来(ウーライ)はタイヤルのふるさとです。タイヤルには、南投県仁愛郷に発祥村したという伝説があり、当地の人びとも台湾の険しい山々を踏み越えて、はるばるこの地にやってきます。
顔のイレズミが特徴で、それが結婚すること、天国へ行くことの条件になっていました。とくに男子は敵の首をとらなければイレズミができず、そのため台湾原住民の中でもとくに勇猛果敢で、日本の支配にも最後まで抵抗したことで知られます。
ウーライとはタイヤル語で「温泉」という意味です。古くから温泉が湧いていたようで、日本時代にはすでに温泉とサクラの名所として知られていました。日本語が通じることもあって、戦後も多くの日本人観光客が訪れています。
虹の橋を越えて
台北からの直行バスにのって、緑の山々の中を潜り抜けていきます。途中で一本の橋を渡ると民家が減り、山がそそり立ち、谷が深くなります。タイヤルの伝説にいう、「虹の橋」を思いだしました。この橋を越えるとタイヤルの先祖が住む地にたどり着けるというのです。道路の両脇にタイヤル人の銅像や伝統の衣装をモチーフにした壁が現れ、いよいよタイヤルの里にやってきたという気分を盛り上げてくれます。
終点で降りたところが、烏来街というメインストリートです。薬用酒、山菜、川えび、今流行のヤマイモ(山薬)入りタピオカ、原住民風の服やアワ酒(小米酒)、アワ餅、竹筒飯、原住民音楽のテープ、石板焼肉など、日本にはない珍しい商店が並んでいます。もちろん温泉旅館もあります。
烏来街を通り抜け橋を渡る際に入園料金を払います。橋の下の川縁には「烏来熱力温泉」という露天温泉があります。ここは無料だが水着着用です。橋から右手に温泉まで下っていく道があります。無料といっても打たせ湯やサウナもあって、設備は整っています。綱を伝って烏来を流れる川にも降りられます。温泉の温度は80〜86℃です。水は無色、無臭、透明で、弱アルカリ性の炭酸泉です。
トロッコ列車でさらに奥まで
橋の正面にはトロッコ列車の駅があります。このトロッコはもともと林木を運ぶ目的で作られましたが、今は烏来観光の心強い味方です。緑の山の中の道をゴトゴト音を立てて駆け抜けていきます。爽やかな風が心地よいです。
終着駅には烏来観光の目玉である滝があります。滝のそばのロープウェイを利用すると、谷を越えて滝の上まで運んでくれます。滝を鑑賞しながらのスリリングなひとときが楽しめます。桜の時期はいっそう美しいです。
たどり着いた先には、「雲仙楽園」という遊園地が待っています。ホテルや別荘地もあり、家族連れで楽しめます。
忘れられないきずなの証――高砂義勇隊の碑
泰雅山地文化村の建物正面右側の階段を上ると、左側に「台湾高砂義勇隊戦没英霊記念碑」という石碑が建っています。この碑は太平洋戦争で戦死した高砂族兵士の慰霊と顕彰のため、故リムイ・アベオ女史を中心とした有志が1992年、多額の借金をして建てたものです。李登輝前総統による「霊安故郷」の四文字が刻まれています。
戦時中の国家総動員体制の下、台湾原住民(高砂族と呼ばれた)の若者も戦争に動員されることとなりました。最初は軍属として後方支援の役割でしたが、戦争が激しくなるにつれて軍人として参加することとなりました。尚武の気風をもつ原住民の若者たちは、その多くが自ら志願してニューギニアなどの南方戦線に赴いました。日本兵に比べジャングルの生活に慣れ、夜目がきくことから、敵軍に恐れられたといいます。
しかしその多くが南洋のジャングルに消え、戻りませんでした。また生還しても、恩給などの手当てもまったく受け取れなかったです。記念碑の前に立つと、やり切れない想いになります。日本の勝利を信じ、おのれの誇りのために命をかけた高砂義勇隊の若者たち、その勇気は報いられることはなかったけれど、彼らのことを忘れてくれるなと、石碑は訴えているようです。
内洞森林遊楽区
烏来のさらに奥には信賢というタイヤルの里があり、また内洞森林遊楽区という森林公園があります。海抜230mから800m、森、滝、池、溪流など、多様な景観があり、烏沙渓の滝と信賢の滝が有名です。信賢の滝は内洞の滝ともいい、三段でなかなか見事です。梅の花や紅葉の季節は行楽客で賑わいます。歩道も整備され、森林浴にはかっこうの場所です。レタンカーあるいはタクシーがあると便利です。